頑張っていることは幸せなこと、若者の視点にハッとした件
勝負論ウメハラの流儀(梅原大吾著)を読んで。
本来、頑張ることは楽しいはずだ。
あるゲームセンターに行く途中に、ガラス張りになっているダンス教室がある。そこに、ちょっとすごい人がいるのだ。
彼の見た目は「いい歳をした普通のおっさん」だ。
ただ明らかに普通でないのは、彼は一人大きな鏡の前で、何やらオリジナルのダンスのようなものを、延々と繰り返し踊っているのである。
何ダンスというよりは、「不思議な踊り」としか言いようがない雰囲気で、思わず目が釘図けになってしまう。ガラス越しに見る限りでも、周囲で練習している人たちからは、少し、いや、かなり浮いているようだった。
それでも「おっさん」は、ひたすら、一生懸命に、そしてノリノリで踊り続けている。はたから見ている限り、彼が周囲を気にしている様子は、まったくと言っていいほど感じられなかった。
著者は、この「おっさん」の姿が、頑張っていること、「勝ち続けている」ことの、ひとつの具体的な例だと思う。本人が心からやりたいと思い、好きだからひたすら踊り続けている。それに対する世間の評価がどうであろうと、全然構わない。
なぜなら、自分が幸せだからだ。
頑張ることを、そんなに難しく考えたり、怖がったりする必要はない。大切なのは、最初に一度だけ勇気を出すことなのだ。ということをいっている。
私は、このことを聞いて、はっとしました、若い人はそんな風に考えるのかということを知りました。年をとっていることだけでかなり浮いてくると思うし、その内容がダンスとくればより目立つ存在になる、社交ダンスとかならまだわからないでもないが、しかも、オリジナルのダンスとくれば、中年の私からすれば、ちょっとかわった人とレッテルをはりそうな人だと考えます。
しかし、ノリノリで、汗を流して一生懸命踊っている姿をみたら、うらやましくなるかもしれない。一生懸命になれるものがあるのはいいことだ。
仕事でも、同じかもしれない、がむしゃらに一生懸命していると、最初は何だ、この奴はとみられるかもしれないし、全然良いサービスができてないじゃないと思うかもしれないし、またそれを注意するかもしれない。だが、その1年後、5年後を考えると、たぶんその人は成長し、プロと呼ばれるような人になっていくように考えます。
中年の人に足りないのは、復習する力だという人もいるくらいです.まずは、好きなことをやってみて、復習していく、そうすれば、世間の評価は変わっていくように感じます。
そして、自分も幸せになる。 そして、この著者のような若い人からも認めてもらえる存在になれるということのようで
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